危機的状況は察知できる

内田先生のブログから抜粋。


なぜ、このブログの、この部分を引用したのかは、あえて書かない。


ただ、こういうことっていうのは、本人たちが起こりそうにない、と思っているところにこそ起こるものであり、起こった後でも当事者は、それが自分が原因となって引き起こしたものだとはつゆ思わないものなのだと思う。


少ない確率であれ、本人がこういうことに気づき、それを少しでも改めなければ、あとは地獄しかない。できれば、少しでも物事がいい方向にいきますように。



内田樹ブログ 「アメリカの夢」より、一部抜粋

http://blog.tatsuru.com/2008/09/18_1006.php

無意味にえらそうにしている人間がそこここに目に付いたら、その組織は「末期的」であると判じて過つことがない。


「えらそう」に見えるのは、外部評価と自己評価の差が大きいせいである。

「自分の能力は過小評価されているのではないか」という不安をもつ人間は、自分への敬意を喚起するために「わずかによけいな身ぶり」をする。


「えらそう」というのはその「わずかによけいな身ぶり」のことである。


いちばんわかりやすいのは「アイコンタクトの遅れ」である。


こちらが声をかけても書類から顔を上げない、隣の席の人間とのおしゃべりを止めない。


こちらが質問すると、答えることよりも「私はそういう質問をされることをすでに予見していた」ことを誇示することを優先する人間(彼らは答える前に、「だから」という鬱陶しげな一言から始めることが多い)。


そういう人間が一定数いたら、そういう組織はもう長いことはない。