ディーヴァが我が家に舞い降りた

Iさんが家に歌いに来た。
しばし自宅はボッサ・スタジオと化す。
しかし、久々にVoと合わせると、自分のギターのいかに頼りないことか。
リズム、リズム、リズム。すべてはそこに集約される。


 ところで、日本は「出る杭は打たれる」社会であるらしい。
 そういうことは繰り返しよく言われるわけだが、身をもってそれを感じている人はどれくらいいるのだろうか。例えば、誰もやっていないようなことをやって成功した人間は、実際にどれほどの社会的不利益を被っているのだろう?
 そもそも、成功しているということは多かれ少なかれ「社会的」成功でもあるわけであり、「誰もやっていないようなこと」をやって「成功」する人間が多少妬まれたところで、そういうことが成立する時点でその社会は「出る杭は打たれる」社会とはいえないのではなかろうか。

 何が言いたいかというと、ドンキホーテの放火の話である。
 打たれるどころじゃなくて、燃やされちゃいました。

 で、テレビは燃やした奴の悪虐性よりも、燃やされた奴の落ち度の洗い出しに全力をそそいでいる。ドンキーの社長は今頃、社会の風の冷たさを実感していることだろう。

 「出る杭は打たれる」はこの場合、正確ではない。「出る杭は蹴倒されて燃やされる」ぐらいのほうがいいのかもしれない。