AX渋谷に、忌野清志郎コンサートにいく。

KING(あらためGOD?)は今日もご機嫌だった。

「今日の客はいい乗りしてるぜぇ! ・・・なんか、この国も、案外、大丈夫かもしれないな」

清志郎兄貴に言わしめるくらい、お客さんの足並みがそろっていた。
たしかに、こういう雰囲気を感じると、根拠なく「日本もまだまだ大丈夫だな」と思ってしまう。客観的情勢を考えれば全然だいじょうぶじゃないんだけど、なんとなく大丈夫だという体感はある。どっちを信用していいのかは今の僕にはよくわからない。

ともかく、雨上がりの夜空にを40代になっても歌っていたい。そう思わせるようなライブだった。

でも、清志郎の兄貴もいつかは引退するだろうし、いつかはお墓に入ってしまうだろう。

そうなったら、僕らはどこで雨上がりの夜空にを歌えばよいのだろう?

若いミュージシャンをはなから相手にしていない、僕のポップス鑑賞姿勢は、こういうことを考え始めると致命的に間違っているような気がする。

要するに僕は、市場と、時間による淘汰圧というものに、かなりの信頼を置いているのだ。

読書にしても、音楽にしても、趣味にしても、長い時間、市場にさらされてきたものには、一定の信頼をおいてよいと思っている。逆に言えば、自分の感性というものを、それほど信頼していないということでもある。いわば、僕の鑑賞態度というのは、「オレ流」の正反対といってもいいかもしれない。

この姿勢そのものはさほど間違っているとは思わない。しかし、もし世の中こういう人間ばかりだったら、第2、第3の清志郎が育つ余地はない。

・・・2月には、スガシカオさんのライブに行くことにした。彼が僕のアイドルとなってくれる確率はどれくらいあるのだろうか。