姉御へ。

姉御が死んだ。

5月24日夜8:50、入院先の病院で亡くなった。

僕が聞いたのは明けた日の夕方のことだった。

故人のことをこんな場所に書くことは間違っているだろうか?

でも、今、僕にできるのは、言葉をつむぐことしかない。

とにかく、書かずにはおれない。

姉御、Kさんは、僕が東京に出てきて、今の会社で最初に出会った先輩だった。そのころの彼女は30歳で、エネルギーにあふれていた。

それこそ鉛筆の削り方から電話の受け取り方、校正の仕方から著者との付き合いまで、一から十まで姉御から教わり、姉御の背中に学んだ。

一緒に出張に出たし、彼女の友人と連れ立って、旅行に行ったこともある。昼ごはんを食べ、飲めない酒を一緒に飲んだこともある。

1〜2年経つころに、仕事の進め方でぶつかり合い、大きな喧嘩をしたことがある。「ここから先は鳥居くんの領域、ここから先は私の領域と決めよう」。彼女はしばしば、そういった枠組み的な決定を好んだ。僕は「そんなにスパッと決められるもんでもないでしょう?」と口答えした。

われながら生意気だとは思うけれど。今となっては、どちらが正しいというものでもない。そして、その当時も、僕と彼女は一種の戦友として、同じ部署で、同じ雑誌を4年間作り続けたのだ。

彼女と一番長い時間一緒に仕事をした人間の一人であること。

そのことは、僕にとってたとえようのない幸運だった。

彼女は組合の闘士であり、公の利、あるいは公の理にのっとって動く人だった。

この世の中で、独りで生きること。個に訴えるのであれ、公に訴えるのであれ、何よりまず独りで行うこと、独りであるということをよしとしてきた僕とは、いってみれば水と油だったのだと思う。

公の理は僕にとって不自由な枷でしかなく、僕の行動は彼女にとって時に雑音として認知されていたことだろうと思う。

でも、そんなことは、僕とKさんの関係には、何の関係もなかった。

姉御は僕のことを「弟、鳥居君」と呼び、僕は姉御のことを「姉御、Kさん」と呼んでいた。

僕らは兄弟だった。少なくとも僕は、そう思っていたし、彼女もたぶん、そう思っていたはずだ。

まったく意見が合わなくたって、考え方が違ったって、兄弟は兄弟なのだ。

僕にとって、東京生活での姉であり、社会人としての僕を一から育て上げてくれたKさんが死んだ。

入院中の病院での、自殺だった。

自殺と聞いて、僕はとても腹が立った。

殴ってやりたい。殺してやろうか、と思った。

彼女は鬱で入院を繰り返していた。

けれど、回復すると思っていた。

どんなすっとんきょうなことを言われても、治る過程なんだ、と思えばなんてことはなかった。

こう思っていたのは僕だけではないはずだ。

けれど、彼女は死んでしまった。

死んでしまった人間を殴ることはできない。

でも、やっぱり自分で死ぬってのは間違ってるよ、Kさん。

Kさんの考え方や行動は、しばしば俺にとって受け入れがたいものだった。

Kさんがたどった病の過程すら、僕には芯から納得できるものではなかった。

でもね、姉御。もし死んでしまわなければ、俺はそれすら、「別にいいか」と思ってたんだよ?

生きてれば、どんなことだって、「まあいいか」と思えたと思う。だって、僕とあなたは、8年間もそうやって、やってきたんだから。

僕はもう、あなたのことを「まあいいか」と思うことができない。

「公」から切り替わったときの彼女は、繊細かつ鷹揚で、そしてチャーミングな女性だった。笑いのセンスもあった。そう、彼女は本当は、笑うことが大好きだったのだ。

一緒に仕事をしてきた僕にとっては、公のときの彼女、私のときの彼女、いずれの存在も負けず劣らず大きいものだ。というより、その2つは当たり前のことだけれど、不可分なのだ。

彼女自身が、公私の別を厳格にしようとしていたことはあるかもしれないが、それでも彼女の公にはしばしば私が混じりこんでいたし、私に公が持ち込まれることもあった。

それがどれだけ理解に苦しむものであっても、僕はまるごと、「それが姉御だから」と思っていた。何があっても、姉御らしい・・・と、呆れるだけで、腹を立てることなどなかった。

彼女の命を奪ったのはなんだろうか?

鬱という病?

滅私奉公によるストレス?

会社をはじめとした社会との軋轢?


僕は、そのすべてにノーを言いたい。

Kさんの命が、病気や、ストレスや、軋轢なんてものに還元されることは耐えられない。


もちろん、そう考えたい人はそう考えればいいと思う。

けれど、僕にとって、Kさんの死は、決してそのような形で決着をつけるわけにはいかない質のものなのだ。

僕は「それ」を抱えながら、胸を張って生きていく。

それ以外のことは、できない。

そういうことだよ、姉御。

俺、しばらくそっちにはいきませんよ。こうなったら、めいっぱい長生きしますからね。

別にさびしくはないですよね? 俺なんか行かなくてもね。

でもいつか、俺もそっちに行くことになります。


当たり前ですけどね。



その時は、必ず挨拶にいきますよ。

待っててくれ、なんていいませんよ。忘れてなきゃあ、いいですよ。

なんか、美味い昼飯でも食いにいきましょうよ。

それからね。

こっちに残してきた子羊が気になるからといって、

下りてきちゃあ、ダメですよ。

どうせ俺が言うことなんか、聞かないんでしょうけどね。

あと、最後にね。

本当にお疲れ様でした。

俺が言ってもうれしくないでしょうけど、ほんまにようがんばったと思いますよ。