日常・非日常1


3年半住んだマンションのドアを開く。左足から靴を脱ぎ、かかとの部分を左手でまとめて持ち、下駄箱に入れる。蛍光灯のスイッチを入れる。明るくなった部屋には、昨夜の私の残骸たちが散乱している。

着替え、DVD、CD、ギターのピック、雑誌。それらをあるべき位置に戻す。失われた秩序は回復されなければならない。

それらを終えた私はソファに腰掛ける。背もたれにわたしの脊椎がめりこむ。尾てい骨は座面に沈み込む。両足は重力から多少なりとも解放され、私の血流は弛緩する。「休んで良い」という命令が、身体に、脳にくだされる。覚醒度は少し低下する。

といっても私は眠るわけではない。身体が求めるのは弛緩である。

こうした時間にテレビをつけなくなってから、すでに1年以上がたっている。テレビがもたらす視覚・聴覚刺激があっては、十分に弛緩することはできない。否。身体は弛緩しても、脳はむしろ緊張する。

何もない、何も起らない、何も変らない。

私の脳はそんなものを欲していないかもしれないが、私自身は脳がそれを欲することを欲している。