時間の外延化とインプロビゼーションの話の続き。

ジャズのセッションでは、「いろんなこと」が起きる。

それは、例えば、ドラムのリズムの「荒れ」であったり、ベースの「撥ね」であったり、フロントのミストーンであったりする。

もちろん、そういったネガティヴなものだけではなく、予測もしないようなフレージング、熱いビート感といったものも、「いろんなこと」に含まれる。

さらに言うなら、そういった言語的なものを超えた、ある種の「徴候」のようなもの。そういったものに囲まれた環境がセッションという「場」であり、そこで演奏するということが、インプロビゼーションということができる。

であれば、インプロビゼーションに絶対必要なのは、できる限り外延化された時間といえないだろうか。

5秒後の自分の演奏、あるいは周囲の演奏しか想像できない人間と、5分後までの時間を想像的に自分のなかで認識できる人間では、演奏時の「余裕」が違う。それが例えば、演奏が終わった数時間後、「あのときはこう弾けばよかったのではないか」という地点から回想するように、「今」の演奏をコントロールすることができるなら、それは少なくとも僕のレベルの演奏では理想的な心的状態であるだろう。

もちろん、それは1人よがりな「未来像」であってはならないし、もし1人よがりなものであれば、それは今話している「時間の外延化」とは無縁の状態である。

内田氏は、合気道の術理の説明の1つとして、そうした「時間情報」を、相手に送り込むといったことを書いている。つまり、合気道において、対して力を入れていないのに相手が投げられたりするのは、「そのように互いの身体が動いた」という未来像をリアルに体感した人間が、その体感を相手に送り込むことによって、そのように相手の身体が動いていく、という形で実現されるというのである。

これと同じことは、楽器演奏でも起こりうるのではないか。

それはおそらく、「呼吸を合わせる」といった言葉で語られてきたことと近いことだろう。つまり、未来像をリアルにイメージできる演奏者は、その未来像の「体感」を、周囲の演奏者に送り込むことができる。それが強く、説得力をもったものであればあるほど、周囲の演奏者の演奏は、そのように動く。

たぶん、すばらしいインプロビゼーションの1つの典型というのは、そのような強いビジョンが、そこにいるすべてのミュージシャンに到来した(ビジョンは自分の内側にわき起こるというよりは、どこかから到来するものだと思う)時に生まれるのではないだろうか。

では、そんなビジョンが到来するようにするには、どのような訓練を行えばよいのだろうか。われわれ凡人にも、そのようなビジョンが到来することはあるのだろうか。

その課題について、明日は「脳を割る」ということと、「身体的知性の開発」ということをテーマに考えてみたい。