映画『スウィング・ガールズ』を観る。佳作。
音楽を演奏することの楽しさ、そして青春映画の王道をきっちりと踏まえた、佳い作品。もっといえば、良識のある作品だった。
「人間は必ず原因と結果を取り違える」といったのはレヴィストロースだっただろうか。
私たちは必ず原因と結果を取り違える。それは、無意識ながらも半ば意図的な取り違えであったりする。
血液型による性格判断が当たるのは、血液型が人の性格を支配しているからではない。
血液型による性格類型というものが先にあって、その鋳型に流し込まれるように人格が形成されるのだ。
何のためにそんなことが行われているのか?
その理由は私にはわからない。けれど少なくとも、そのほうが確かに、人の性格は「理解しやすく」はなる。そのことにどのようなメリットがあるのかはわからないけれど。
楽器でも、スポーツでもそうだが、ものすごい集中力で取り組んで、すぐに「モノ」にする人がいる。
彼らにあって、そうでない人に欠けているものは何か。
集中力? 対象への愛? 向上心?
そうした、一般的に「訓練を支えている」と考えられているものは、実は訓練の結果でしかない。
ギターへの執着、上達への向上心、ジャズへの愛情。それらは、ギター・ジャズを実際に行うことによってしか得られることはない。ジャズを愛しているから練習するのではない。練習するから、ジャズが好きになるのだ。
だから「やる気が出ないから練習しない」というのは、事の順序が逆である。「練習しなければ、やる気が出ることなどありえない」のだから。
では、ここしばらく、私の中でまったく上手くいっていない「ある課題」についても考えてみよう。
この2か月ほどで3kg以上太った。
原因は明らかで、食いすぎである。
どうして食いすぎるかといえば、食べ物が美味いからである。食いたいものがたくさんあるからである。そしてそれらがハイカロリーだからである。
ここにも順逆の転倒があるのだろうか?
食いすぎたから太ったのではなく、「太ったから食いすぎている」のではないか?
食べ物が美味いから食いすぎてしまうのではなく、「食いすぎるから、食べ物が美味い」のではないか?
ハイカロリーの食べ物を食べるから太るのではなく、「食いすぎで太ったから、身体がハイカロリーの食物を求める」のではないか。
なるほど。この考察にはどうやら、ダイエットをめぐる本質的な知見が含まれているように思われる。しかしこれ以上やると、自分にとって直視したくない事実が露見しそうである。
しかしまあ、「やせてからダイエットを始める」というのはいくらなんでも不可能だ。
いずれにしても、「食欲があるから、食べる」のではなく、「食べるから、食欲が出る」というのは、経験的にもよく理解しているつもりである。とりあえず、食事を減らすしかない、という、方法論的には超凡庸な解決策しか私には許されていないようだ。