終日蟄居。

 知人から拝借していた『ベロボディアの輪』角川文庫を読了する。

 ロシア人の女性精神科医がアルタイのシャーマンに出会い、数々の神秘体験を通して、治療観、ひいては世界観を変化させていく過程を独白したもの。

 だいたい、この手の「独白もの」というのは独りよがりでうざいのが定番だし、この本にもそういう傾向がないわけではない。けれど、どこかそういう、語り口の趣味という範囲を超えた、真理への近接が感じられる本だったので紹介する。

 そもそも私は神秘体験とか、不思議だとか、超能力だとか、そういうものを毛嫌いする傾向をもっている。(余談だけれど、経験上、こういう傾向は職人の家に育った人間にだいたい共通している。職業そのものが当たり前に神秘的だと、神秘性への憧憬というものは育ちにくいのかもしれない)

 しかし、だからといって、世界のすべてが物質的・合理的に理解できるとは考えていない。「現代医学に心の視点を」という手合いもあまり好きではない。彼らがやろうとしていることは、結局、すべてを自分たちの世界に引き込もうという不毛で野蛮な試みに過ぎない(ような気がする)。世界には必ず不可知の領域があるし、そこへのアプローチは「知る」とか「理解する」といった方法とは別のやり方であるべきだと考えている。(そもそも、「不可知領域」を「理解する」ということが、本末転倒であろう)

 これまでに聞きかじった知識や、この本の記述から考えるに、シャーマンというのは、そうした領域へのオルタナティヴアプローチに通じた人たちだったのだろう。そして、そうした技術をもつシャーマンが「特殊技能者」であったということは、太古の社会の常識が、おそらく現代のわれわれとそう異なるものではなかったことを意味する。
 太古の社会の人々にとっても、「不可知領域」は不可知領域であった。死んだ人は生き返らないし、現実は今あるものしか存在しない。そうした「常識」とともに、そうした常識を超える世界にも、シャーマンという存在を媒介して触れえたのが、太古の人々の日常だったのではないか。私はそういうふうに想像する。そして、太古の人々のそういう日常を、現代人に比べて相当程度「知的レベルが高い人たち」だと感じるのである。

 本書の中で、個人的に気になった部分を抜書きしておこう。その人の「役割」を決める「魂の双子」についての記述だ。

「これらの魂の双子には七つの異なった種類が存在している。たったの七つだけじゃ。人々のために存在する魂の双子の種類は以下の通りじゃ。治療家、占星術師、教師、伝達者、保護者、戦士、そして執行者。最後の執行者は処刑を実行する人間ではなく、物事を起こさせる人間のことじゃ。」

 どうだろう。変性意識状態の中にあらわれたシャーマンの言葉だということを括弧にいれれば、別に、神秘的なことは何も言っていないと思う。こうしたことの1つひとつが「太古の知恵」であり、それを積み重ねていくことがベロボディアへの道、輪だとすれば、私はこの本のほとんどすべてに同意できるのである。

(ところで、おいらはいったい7つのうちどれだろう? 治療家と占星術師はまず違う。教師は可能性はある。伝達者ってのもいい。保護者はなさそうだし、戦士もない。臆病だしな。執行者ってのもありうるな。今の仕事は本質的には伝達者だし、おいらの仕事のやり方としては、執行者、あるいは教師に近いものがある。自分がこれからどのように生きるのか。どのような輪を作っていくのか。興味深いところだ)