前日からの腹痛を抱えたまま出社。

 しかし不思議と体調はよい。これが徹夜明けのナチュラルハイ状態に過ぎないのか、ジャムセッションでアドレナリンを出しまくったおかげなのかは不明だが、はっきりしているのは、身体っつうのは休ませればいい、ってなもんでもないってことだ。

 要はアドリブと一緒だ。弾きつづけていれば、ぶったおれるまでどんどんよくなってくる。つまりは生きる(ライブ)っていうことなのだ。



夜は新宿PIT INNで廣木師匠のライブ鑑賞。
20時15分についたら、もうはじまっていて、1曲目の前半を聞き逃す。

この日はオリジナル6のスタンダード(?)4くらいの割合。ベースはいつもの飯田正春さんだったが、この日のドラムは御大・古沢良治郎さん。テンションを張り気味にしたスネアドラムの高い音が爽快にかけぬける。

師匠のギターも快調だった。
「正確な演奏」というと、どうしてもクラシック的な、つまらない演奏を思い浮かべてしまうかもしれないが、師匠のはその正反対の「正確な演奏」である。つまり、「自分のやりたいこと」「感じたこと」をそのまま音にする、その瞬間瞬間、一歩ずつの正確さなのである。

待ちを外された時のイチローのバットコントロール
ディフェンダーを抜くロナウジーニョのステップ。

「一流」の動きは必ず「瞬間的かつ正確」である。どちらかが欠けても一流ではない。

思いつきを確信に変え、妄想を想像力の豊かさに変えるのは、ひとえにこの「正確さ」ではないだろうか。そのことは、音楽でもスポーツでも、何でも変わりはない。




新宿PIT INNで廣木師匠のライブ鑑賞。
20時15分についたら、もうはじまっていて、1曲目の前半を聞き逃す。

この日はオリジナル6のスタンダード(?)4くらいの割合。ベースはいつもの飯田正春さんだったが、この日のドラムは御大・古沢良治郎さん。テンションを張り気味にしたスネアドラムの高い音が爽快にかけぬける。

師匠のギターも快調だった。
「正確な演奏」というと、どうしてもクラシック的な、つまらない演奏を思い浮かべてしまうかもしれないが、師匠のはその正反対の「正確な演奏」である。つまり、「自分のやりたいこと」「感じたこと」をそのまま音にする、その瞬間瞬間、一歩ずつの正確さなのである。

待ちを外された時のイチローのバットコントロール
ディフェンダーを抜くロナウジーニョのステップ。

「一流」の動きは必ず「瞬間的かつ正確」である。どちらかが欠けても一流ではない。

思いつきを確信に変え、妄想を想像力の豊かさに変えるのは、ひとえにこの「正確さ」ではないだろうか。そのことは、音楽でもスポーツでも、何でも変わりはない。