監禁

ここ数日、あいついで女の子を監禁した連中がつかまっている。
中には首輪をつけて「ご主人様」と呼ばせていたやつもいるらしい藁

・・・いや、笑っている場合ではない。
やられたほうとしてはたまった話ではないんだよな。

さて、こういった事件が報道される場合、かならず犯人の「異常な性的嗜好」についての検証がなされるのだが、私は以前からこれに非常な疑問を覚えていた。

 「良識派」のコメンテーターごときに「性的嗜好」だと見抜かれる程度の「趣味の悪さ」は、はたして「異常な性的嗜好」といえるのだろうか。
 世の中には女子高生の生足に喜ぶ程度から、靴下単体で欲情できる者、果てはスカトロ、窒息、殺人まで、実にさまざまな変態さんがいらっしゃる。
 監禁事件を起こした彼らの「性的嗜好」なるものを、こういう変態さんの序列に入れてみよう。おそらくは、かなり「穏当派」に属してしまうのではなかろうか。逆にいえば、それくらい彼らの性的嗜好は「普通より」であり、であるからして、良識派の皆さんに、彼らのそれが「性的嗜好」であることが理解できたのではなかろうか。私はそういうふうに考える。

 例えばの話。
 「千葉の25歳の男、64歳の独身女性に首輪をつけて監禁」
 というニュースを聞いたコメンテーターは、いったいどういう顔をするのだろうか。
 その顔は、
 「埼玉の28歳の男、17歳の女子高生に首輪をつけて監禁」
 というニュースを聞いた時と、どのように異なるのだろうか。たいへん興味深い。

 「異常な性的嗜好」に眉をひそめる皆さんは、そうした嗜好が「性的」なものであり、何がどのように興奮を催すのか、そのおおよそのアウトラインは理解しておられる。理解していなければそれを「性的」なものだと見なすことはできない。では、そうした性的嗜好を前にして「異常」と眉をひそめる皆さんは、いったい何に対して眉をひそめておられるのだろうか。不思議である。


 「異常な性的嗜好」と、彼らの犯した犯罪の「罪」には、基本的に何の関係もないということも、彼らの多くは忘れているようである。相手が幼女であれ女子高生であれ負け犬であれ老女であれ、一人の人間を監禁して意に添わぬ暴力を加えることは、少なくとも現代社会において(人間社会一般において、とあえて私は考えるが)重大な犯罪である。
 コスプレをさせようが首輪をつけようがムチで叩こうが、それが被害者の意に添わぬものである以上(まあ、だいたいのところ意に添わないだろうけど)、人としてやってはいけないことである。

 罪を犯す勇気のないロリコン男と罪を犯すマッチョなノーマルヘテロセクシャル男のどっちが、フェミニズムの敵なのだろうか。私にはよくわからない。

 もちろん、「その手の性的嗜好」が犯罪と結びつきやすいことを否定しきる勇気は私にはない。けれど、首輪をつけて「ご主人様と呼びなさい」という遊びをやっているお店は東京だけで100件はくだらないだろう。そういう店に通う10000人の男のうち、何人がそういう犯罪に手を染めるだろうか。

 まあ、ノーマルであるに越したことはない、と思うけれど、そんなことより犯罪を犯しているやつを片っ端からつかまえるほうが話ははやい、と私は思う。