9条どうでしょう

毎日新聞社刊『9条どうでしょう』読了。

9条どうでしょう

9条どうでしょう

いや、本来はおすすめレビューに掲載すべきだとは思うのだけれど、レビューというよりは憲法話になってしまいそうだったので、こちらに書くことにしました。

まず、本の紹介ですが、刊行は3/25だからつい最近。執筆者は内田樹小田嶋隆平川克美町山智浩の4名。

この名前を見て、「すげえメンツだな」と思ったあなたはぜひ読んでみるべし。「誰それ?」って人も読んでみてもいいかもしれない。

序文にも書かれているが、この4人に共通するのは「虎の尾を踏みたがる」ということだ。別に英雄気取り、ということではなく、「こんなことを言ったらめちゃくちゃ怒る人がいそうだなあ」ということを言うことに、耐え難い衝動を感じてしまう人たち、と申し上げればよいだろうか。

思うに、憲法に関して「言いにくいこと」を平気で言う人はほとんどメディアに登場しない。

そんなことはないだろう? 某漫画家なんて言いたい放題じゃないか、という人もいるかもしれない。

そんなことはない。改憲派の意見というのは、既に市井において十分に浸透している。その証拠に「改憲派の意見」と書いてあるのを見ただけで、「普通の国になる」「誇りを取り戻す」といった、「直接的には憲法改正に関係のない」ワーディングが頭に浮かぶのである。

だから、いかに過激な口調を用いたとしても、某漫画家の主張はメディアにおいて「言いにくいこと」ではない。同じ理由で、某朝日新聞のような護憲論についても「言いにくいこと」なんかではない。賛成するにせよ反対するにせよ、「そのような論点があること」が公認されている議論は、その時点でラディカルではない。



「言いにくいこと」というのは、当事者(この場合日本人)にとって「気づきたくない、という気持ちすら意識化できないこと」である。しかも、「それ」は、「あまりにも当たり前過ぎて、意識できなかったこと」でもある。

この4人は、そういった、さまざまな思想信条における保守的な方々の神経を逆なでするようなテクニックでは、右に出るもののいない手練れである。

内田「憲法九条と自衛隊は占領者アメリカ人の視点から見ると、まったく無矛盾的である〜その程度のことは通常の想像力を備えた日本人には難なく理解可能のはずである。にもかかわらず私たちはそこから出発しようとしなかった。そこから出発するよりはむしろ人格分裂という病態をとることを選んだ」

町山「たとえば刑法は、裁判官が守る法律だ。〜そして、憲法は国家権力が守るべき法律である。そこに国民の義務を増やしてどうするってんだ?」

小田嶋「(憲法9条自衛隊の矛盾について)〜卑怯? 反論はしない。美しい理想と、ちょっとだけ卑怯な逸脱。結構生活の真実。はは。」

平川「しかし、わたしは、「彼ら」には憲法を修正していただきたくないと思うのである。」

これらは各論考(本書は対談集ではなく、4本の入魂の書き下ろしによってなっている)からの抜粋だが、これだけでも、4方の立場、思いの違いというのはかなり鮮明だ。しかし、共通しているのは、護憲vs改憲という対立を回避しようという知性だろうと思う。

迂遠?

そりゃそうだ。知的である、ということは決断できない、ということとほとんど同義なんだから。

とにかく、国民投票というシナリオだけは避けてもらいたい。「日本人の2/3」が賛成するようなしろものは、きっとろくでもないもののはずだ。