『私家版・ユダヤ文化論』

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

だいぶ前に読んだ本だけど、咀嚼するのに少し時間がかかったので今頃アップ。


まず少し自分の話をしよう。

大学の卒論を、僕は「幕末維新期における日本人の朝鮮観」というタイトルで書いた。
中身は若気の至りというやつで恥ずかしいばかりなのだけれど、奇妙な集中力をもって書くことのできた論文だった。

人はなぜ差別をするのか。どうして誰かを蔑む、ということがやめられないのか。
イジメはなぜ存在するのか。なぜなくならないのか(どう機能しているのか)。

朝鮮人−日本人という枠組みを超えた、こうした「差別論」の問いにたどり着いたがために、僕の研究作業は楽しい興奮に包まれていたのだと、そう考えている。


さて、ユダヤ人である。

内田樹は本書の中で再三にわたり、ユダヤ人を論ずることは、その人間が何者であるかを明らかにすることである、と書いている。

あらゆる差別の中で、ユダヤ人差別は特殊な位置を占めている。しかも、それは他の差別と「異なる」という意味で特殊なのではなく、他の差別、他の人間的事象すべてのルーツにユダヤ人差別がある、と考えざるを得ないような構造ゆえに、特殊なのである。


僕は、日本人の朝鮮観を眺めているうちに、いつのまにか、ユダヤ人のことを考えていたのかもしれない。

読後にそんなことをふと、考えた。