ここ1週間ばかりの出来事

身辺雑記ですね、つまり。

3月9日
師匠の薦めでfenderのHot rod deluxue購入。ええ音ですわ、確かに。久々に電気につないで、ギター少年気分です。初めてエレキでワウを踏んでジミヘン(らしきもの)を弾いた中学生の頃の感覚(笑)。


3月11日

西條剛央さん、京極真さんたちが主催した構造構成主義シンポに行く。

http://structuralconstructivism.googlepages.com/symposium2007

養老先生やら池田先生などの怪人(笑)を演者にそろえてのシンポジウム。僕とほとんど歳の変わらない西條さんや京極さんらが主催というのは、考えてみれば本当にすごいことだと思う。お疲れ様でした!

以下、気づいたことをメモ。

・差別、いじめ、あるいはそれを駆動する対立構造やルサンチマン、憎しみといったものは通常、低減すべきもの、止揚すべきもの、あるいは制御すべきものとされるが、本当にそれらは、忌避すべきものなのか?

ルサンチマンや憎しみに起因する葛藤が人間的成長を促すことは誰にだって少し考えればわかる。しかし、いじめや差別にそういった正の効用があるとは考えられることは少ない。

・しかし、今日池田先生もおっしゃっていたが、エントロピー増大の法則に従うならば、どこかが秩序化されれば、その歪は必ずどこかで調整されるのである。



構造構成主義パラダイム間のズレを言い当てるための理路を理論的に体系化したもので、それ自体には中身がない。それゆえ何にでもあてはめることができる。

そういうものだから、提唱者の西條さんは、「これ以上付け加えることはない」状態なのだと思うのだが、必ずしも構造構成主義をそのように理解している方ばかりではない。シンポジウムに彼が登壇しなければならない理由がある。

普通の人には堪えられない「理の真空状態」を許容できたからこそ、西條さんは構造構成主義にいたったのであろうし、それが真空状態である以上、そこに長く留まれないのは当然だ。真空だからこそ、構造構成主義は超メタ理論たりうるのだ。

今の所、構造構成主義は、理論領域で破壊力を発揮している。理論領域だと、構造構成主義は理論上、無限に新理論を構築できる可能性を持っている。論文生産力が高いのだ。金をかけずに研究する術を奪われた多くの研究者にとって、これは福音だろうと思う。

一方で、臨床領域に近づくほど、目に見える効果を望むのは難しくなる。この日のシンポでもそのことが実感できた。

もちろん、臨床領域にだってズレや信念対立はある。それを解消するのに構造構成主義は有効だ。そのことに疑問の余地はない。

しかし、現場での対立構造を支配するファクターはあまりにも多様で、感情的だ(それでも言葉の力を信じている、なんて口が裂けても言えない)。仮にそれが信念対立に起因する対立だったとしても、それが感情的なものである以上、理論的な解消は逆効果となることもある。

もちろん、本当に不毛な信念対立は存在するし、構造構成主義でそれが効果的に低減されることもあるのはわかる。けれど、そうじゃない場合もある、ということだ。

自分の経験上、そういう場面では根回しが有効である(笑)。根回しとは、相手の立ち位置やプライドのありかを丁寧に吟味し、それをできる限り保持しつつ(理想的には補強しつつ)、自分の言い分を通すということだ。


もしかすると、これこそが「構造構成主義の臨床的展開」かもしれない(笑)


3月12日

横須賀にて甲野先生の講習会に参加。

僕は武術の技はほとんどまともにできないのだけれど、甲野先生とその周辺の皆さんがもたらす「感覚的刺激」を受けたくてできる限り参加している。もちろんハル君に寄り切られたりすると悔しいので某大の学生さんを投げたりして自尊心を回復したりするのだが(笑)、基本的には身体を通して自分の増長した精神を破壊してもらうことを期待して参加している。

帰りの電車、あーさんからリズムに関する話を伺う。リズムを感じるポイントをタイムライン上の穴として感じる、といった話だった。

この話そのものは正直なところ、今の自分には理解しきれていないのだが、その話に付随してうかがったリズムトレーニングの話はすごく参考になった。

3月14日

某所にて甲野先生のお話を伺う。詳細は秘密(笑)