「時間の外延化」の話から行こう。

平川氏は、「バイクのコーナーリング」の例をひいて、この概念を説明する。

バイクのコーナーリングでは、「数秒後にきれいにバイクをバンクさせて、コーナーを曲がる自分」をはっきりとイメージできればほんとに上手に曲がれる、ということがある。逆に言えば、「テールがずるずる滑っている自分」なんてものを想像したら、ほんとに数秒後に、その想像どおりにテールが持って行かれる、ということは少なくない。

これは、「イメージやビジョンを持つ」ということとは、微妙に異なる感覚だ。

「イメージやビジョン」というものには、時間性はない。それはつまり、「妄想」とか「想像」の範疇に含まれるものだ。逆に言えば、「時間性、あるいは未来性を持つイメージ」が、ここでいう「イメージ」のさすものかもしれない。

ともかく、数秒後の自分の体感をリアルにイメージできるものは、本当にその数秒後にそのとおりの状況を招き寄せることができる、というのが平川氏のいう「時間の外延化」の話の骨子である。つまり、時間を「今、ここ」という「点」に集約させたり、過去から現在の、一本の「線」としてとらえるのではなく、ある幅を持った存在として知覚するという、認識態度のことだ。

まあ、言い方はややこしいが、「そういう感じ」を味わったことがあるものにとっては、それほど想像しがたい話ではないと思う。

さらに、この平川氏の提案を受けて内田氏は、「外延化」がどこまでできるかが、その人の人間的パワーの1つの指標となる、といった話を展開する。

例えば、10分後に何をしているかがまったく頭にない人間と、1時間後の自分のあり方をリアルに体感できる人間では、生きる態度が大きく異なる。それはトラブルに巻き込まれたり、感情的なスパイラルに巻き込まれたとき、大きく表面化する。数時間後の自分の心的状況を体感としてイメージできる人間は、「今、この時」の感情の波に大きく状況判断を左右されることがない。それは、誰しも納得のいくお話だろうと思う。

そして内田氏は、このアイデアをさらに時間的に引き延ばす。「自分の死」というエンドポイントまで、「時間の外延化」に成功した人間こそ、真の「達人」ではないか、というアイデアである。

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少し脱線したが、ともかく、時間の外延化というのは、そういうお話であった。

で、それがどうインプロヴィゼーションの話につながるかというと、これまた次回に続くのであった。