嫌韓論の系譜

北朝鮮から6発のミサイルが発射されたと同時に、竹島で韓国が海洋調査の報が入ったためか、韓国・北朝鮮の共同行動と見る人がけっこういるようだ。

僕はその見方は短絡だなあ、と思うものの、否定するほどの根拠を持っているわけではない。まあ、そういうこともあるかもしれない、と思わなくもないが、たまたまなんじゃねえの? のほうが少し勝っている。(正直に言うと、どっちでもいいわけです)

ともあれ、この5,6年、ネット住人の皆さんの嫌韓、嫌朝、嫌中傾向は著しい。

あまりよろしくない傾向だと思う。

何がよろしくないといって、人や国を嫌う、というのはエネルギーを使うからだ。熱くなって、エネルギーを大量消費する割には、得るものは皆無。残念ながら、ネット住人の皆さんのエネルギーは、政治の舞台に届かないからね(というより、しばしば逆効果になりがちだ)。

「俺はあいつのことが嫌いだ」と公言した人間は、悲しいことにやり玉に挙げられた「あいつ」よりも多くの社会的なモノを失ってしまう。これは、小学校のクラス内であっても、国際関係であっても、ほぼ同じメカニズムが働いている。

ところで、嫌韓、嫌朝、嫌中傾向というのは、今にはじまったことではない。「嫌韓、嫌朝、嫌中が高まっている」などというと、これまでの日本にはそれが存在しなかったかのような錯覚を覚えるのだけど、昭和20〜40年代くらいまでの日本人は、今よりも露骨に韓国人や朝鮮人を嫌っていたし、差別していた。

要するに、ネットのような、それが表面化するメディアが少なかっただけの話で、現在まで脈々と嫌韓は受け継がれてきた。例えば、10年前に亡くなったうちの婆さんは、「朝鮮のやつには指が4本しかないからな」とのたまっていた。俺が朝鮮人と付き合ったら発狂していたと思う。


もう少し遡れば、いわゆる大東亜共栄圏の時代に韓国人や中国人が嫌われていたことは明かだ。支配下においていた、というだけではなく、日本人の多くが、彼らを嫌い(恐れ)ていたのは、例えば関東大震災時のリンチ記録を見れば容易にうかがいしれる。

さらに遡って、江戸時代の記録を見てみても、事情はさほど変らない。

つまり、変るのは「嫌い方」であって、日本人が朝鮮人や大陸出身者を差別していたのは、実は神世の時代から変らぬ、伝統的習俗だと申し上げてよい。

なんでこんなことを長々と書くかといえば、どうも、昨今の嫌韓、嫌朝、嫌中論を見ていると、それを「革新的」な見解、あるいは「あまり表だっては表明されていない本音」のような物言いでおっしゃる方々が多いように思うからである。

しかしながら、嫌韓、嫌朝、嫌中論というのは、超「保守」的見解である。これは、良い悪いの問題ではなく、政治の右・左のお話でもない。

日本人というのは昔から、明らかに嫌韓、嫌朝、嫌中だったにもかかわらず、どうして嫌韓、嫌朝、嫌中論が今、「革新」として提出されるのかが僕には不思議なのである。

どうして自分たちが「それらを嫌いである」ことを宣言しなければ気がすまなくなったのか。それが「新しさ」を持つようになったのはなぜなのか。

例えば20年前に、小林よしのりが「嫌韓論」を出しても、今のように売れなかっただろうと思う。そんなものは、新しくも何ともない、「当たり前」だったからだ。

ほんとに、どうしてなんだろうか。

大学の研究テーマだった「嫌韓論の系譜」

なんでこんなことに興味を持ったのか、自分でも不思議だったけれど、そういうふうに考えてみると、こんな研究テーマにも意味があったかしら、と思えてくる。

日本人はどんなふうに、大陸の人々を嫌い、恐れてきたのか。
どんなふうにそれを表現し、あるいは抑圧してきたのか。
その結果、日本人である僕らの世界認識は、どのような変形を受けてきたのか。

誰か、研究しませんかね?(笑)
おもしろいと思うんだけど。