覚書・リズム雑感


ここしばらくの近況をば。


16日(土)

京都入り。
父親と阪神戦観戦。山本マに完全試合すれすれのノーヒットノーランを食らう。なんてことだ。

夜、小場さんが明日のライブのために京都入り。この日と翌日は私の実家に泊まっていただくことになる。こばっちさんの爆笑トークで両親ともにご機嫌。よかった。


17日(日)

お昼から母校・京都府立大学に移動しリハーサル。
今回のユニットはギターが私、ピアノが福島剛、ベースがIさん、ボーカルが小場美明というユニット。


夕方、出町柳のMAAM入り。マスターは温和な、とてもいい方。こういうと何だが、ジャズライブハウスのマスターで、こういう率直な、感じのいい人というのは珍しい。

お客さんには大学の後輩を中心に、知った顔が多く来てくれた。たまたま京都出張中だった、会社同僚のYさんも来店してくれた(鑑賞後僕の実家に泊まったため、小場さん、Iさんに加えて、この日の夜の我が家は久々ににぎやかだった)

ライブはなかなかの盛況。


普段と違い、ある程度私のギターを中心に、インストも5曲演奏。関西風味のコッテリとしたブルースも交えつつ、楽しく演奏することができたと思う。

正確さ、自由さ、まだまだ獲得しなければいけないスキルはたくさんあるけど、これからもがんばっていきたい。



さて、表題の件。ここ最近、自分の音楽について、目指す方向が見えにくくなっていることが悩みだった。何をどうがんばればいいのか、よくわからなくなっていたのだ。

師匠にアドバイスをもらったり、自分なりに考えたこと、思い至った地点があるので、少し覚書をしておきたい。



何をおいても、もっとも重要なのはリズムだということ。

リズムには、生まれついてのものと、文化的なものと、個人的構築物的なものがあるということ。

文化的なものを学ばない人間は、しばしば生まれついてのもの=個人的構築物となってしまう、ということ。

それは必ずしも否定できるものではないが、多くの場合、それほど豊かではないということ。

実際、僕自身も、そういう「俺様」的音楽は好みではないということ。

先人の業績の中で、少しずつつみあがってきた音楽文化。その中でもリズムという遺産。それを身に着けていくということは、言ってみれば、自分の中に、もう一人の自分を育てるということに近いということ。

それはおそらく、長く、また集中力をもった鍛錬によってしかなしとげることはできない質の作業であるということ。(一部の武道が目指す世界に非常に近いと思う)

僕はその作業をすべきである。

きつくても、そこには愉悦があることは間違いないし、何よりも人生はそれほど長くないのである。

薄っぺらなフレージングをたくさん覚えても、それは辞書を暗記するような空虚な作業に過ぎない。

リズム、リズム、リズム。

ジャズ、ボサノヴァ、サンバ、タンゴ……たくさんのリズムの箱が、俺を待っている。

それを1つずつ、丁寧にあけていくこと。

おそらく、それが僕のなすべきことだ。