「出たがり屋」を休ませる


甲野先生以外では、もっとも強烈なインパクトを会うたびに与えてくれるN氏からいただいたヒントを、ここ2週間の間いろいろと工夫している。

現在のテーマは、いかに全身を協働させるか。

「全身の協働」と言ってしまうと簡単、あるいは何を言っているのかわからないのだけれど、例えば卓球のフォアハンドを振るとき、腕だけで振らない、ということである。

腕や手、指は、人間の身体の中でも日常的にもっともよく使うところだし、感覚も発達している。だから、普通に何か物事をやろうとすると、どうしても腕や手、指が働く。

卓球のフォアハンドの場合でも、例えば素人にラケットを持たせると、間違いなく腕だけでラケットを振ろうとする。これが徐々に上級者になってくると、足腰の力をラケットに伝えるようになってくるわけだ。

腕だけで振らず、全身でラケットを振る、というのは、そういうことだ。

「何それ? それが武術の応用? そんなの、卓球やっている人だったら誰だってわかってることでしょ?」とおっしゃる方も多いだろう。そのとおり。ほとんどのコーチが「手打ちをするな、身体全体で打て」と教える。

しかし、その「身体全体で打て」という指導は、実はほとんどの場合、中身がないのである。

例えば、マシンで一定のペースで飛んでくるボールに対し、大きなフォームで打っている限り、中級者以上の選手は、(程度の差はあれ)身体全体でラケットを振っている。少なくとも、振ろうとはしている。

しかし、予想外のボールが来たときや、ためを作る時間がなかったとき、並の選手では身体全体を「切る」ことができない。結果として、腕、肘を支点にした「腕優先」の打法で間に合わせることになる。

そういうとっさの場面でこそ、身体全体で打つ、ということが有効になってくるはずなのだが、現実には、そういう忙しい場面では、その人が持っている身体能力で間に合わせようという発想がほとんどだ。

結果、肘、肩に負担がかかってくる、という悲しい事態も生じる。


僕が今やっていることは、実践的な、細かい動きの中で、全身を協働させる、ということだ。

全身が協働していないとき、自分の身体の内部に神経を集中させてみると、必ずどこかしらに「しわよせ」がいっている。その「しわ」を全身にいかに分散させていくか。それが、現在の僕の課題だ。

やってみるとわかるが、「しわよせ」はたいてい、「出たがり屋」の腕の周辺にあらわれる。場合によっては腰や背中、足に来る場合もあるが、圧倒的にラケットを持った右腕に表われる。ラケットで何かをやる以上、ラケット周辺の筋肉でコントロールしなければいけないという「思いこみ」は思いの外強い。まずはそれから、解放されることだ。

全身が協働していれば、ボールの威力と戻りの早さ、筋力の負荷の軽減といった、通常であれば矛盾してしかるべき目的が、時として同時に達成される。


こういうことを考えながら行う練習は、すごく楽しい。