荻村伊智朗と中井亀次郎

旧題:「壁打ち」と「樽ころがし」の効用について


さて、3日まえ、hossyくんやモツくんと池袋で飲んだときに気付いたネタです。

日本卓球の黄金時代を支えた一人、故・荻村伊智朗氏には、有名な伝説がいくつもある。選手として世界を制し、引退後は現行卓球ルールの基礎を築き上げ、国際卓球連盟の会長も勤めた荻村氏。

しかし、彼の伝説の中でもっとも有名であろう、ある練習法にまつわるエピソードについては僕は今日まであまり信用してこなかった。

それは「壁打ち」である。

文字通り、壁に向かってボールを打ち、跳ね返って来たものをまた打ち返す。それだけの練習。

僕自身も、周囲の卓球人も、一度はトライしたことがある練習法だ。まったく無意味ではないが、結局は台打ちとは距離感も球質も違うのだから、せいぜいウォーミングアップ程度にしか使えない練習。僕は長年そう考えて来たし、周囲の卓球人にも、壁打ちを積極的に取り入れている人は見当たらない。


しかし、ほかならぬ荻村氏は、自身の半生を振り返る中で、ことあるごとに壁打ちの重要性を語っているのだ。

僕が目にしたなかでいちばん信じがたかったのは、一人での壁打ちと体力トレーニングだけで上達し、その後、多少練習環境は整ったにせよ、21歳で全日本を取ったのちも、壁打ちを中心とした練習を行ない続けていた、というエピソードである。

これがもし事実であれば、看過すべきことではない、と思う。

現在、卓球界の一流選手で壁打ちを本格的にトレーニングに取り入れている人は皆無(たぶん)だろうし、一般レベルでもほとんどまともに取り入れられていないわけだけれど、ほかならぬ荻村伊智朗が、中心にすえていたトレーニングを無視するだけの確たる根拠を持っている人はいるのだろうか?

僕の中での解決は、先にも述べたように、このエピソードはウソ、ないし誇張であろう、というものだった。(もちろん、この解釈にも何の根拠もなかったわけだ)

ところが先日、hossyさんらと話していて、ふっとある着想がわいてきた。「これは、<あれ>と同じ話ではないか」と。

<あれ>とは、甲野先生の中で昨年ブームであった、中井亀次郎の逸話である。

甲野 〜最近、私が関心を持っている人物に、中井亀次郎という剣客がいます。明治の最初ごろに活躍した人なんですが、この人の剣術の収斂方法がすさまじいのです。空の醤油樽を背負って、山を登り、土砂崩れの後のような斜面にそれを転げ落とすやいなや、その醤油樽を追って、それを棒で叩きながら下まで駆け下りたというのですから。なぜそんな荒稽古ができたかというと、亀次郎は10歳くらいから兄と2人で猿の群れを追って、逃げ遅れた猿を生け捕りにしていたというんですね。
看護学雑誌、2008年2月号、甲野善紀、島崎徹、内田樹鼎談「身体性の教育」より)

「空の醤油樽を叩いて崖を駆け下りる」という行為そのものは、剣術そのものとは何の関係もない。しかし、そこで求められる、きわきわのところでの身体運用は、並の稽古では身に着けることのできない質のものである。

hossyさんによると、荻村さんの「壁打ち」は、普通の人間が想像するものとはだいぶ質が違ったようだ。

普通、卓球経験者がやったことのある壁打ちは大きく分けて二種類である。1つは、壁に打ったボールをノーバウンドで返し続けるもので、強く打つとコントロールができなくなるので、たいていはラケットをやや上に向けて、いわゆる「温泉ピンポン」よくても、フィッシュ打法程度の打ち方でないと続けられない。

もう1つは、ワンバウンドで壁に打ち付けるもので、これは上手になるとハイペースで続けることも不可能ではない。


しかし、荻村さんのは、このいずれとも、ちょっと異質のものであったようだ。壁から2メートルほど離れ、ほとんど全力といってもいいぐらいの強さで打つ。当然すごいスピードで返ってくるのだが、それをまたフルスイングで打つ。しかもノーバウンドで、だ。

ちょっとでもコントロールが狂えば玉はとんでもないところに飛んでいく。しかし、荻村さんはほとんどノーミスで、何百回と続けることができたらしい。そのペースは、1分間に120回に達することもあったという(2人でやる普通のラリーは、どんなにがんばっても1分間80〜90回程度)。

「壁に打ち付けたボールを、ノーバウンドで打ち返し続ける練習:壁打ち」

言葉にすると、たったこれだけになってしまう練習方法だが、それを聞いた僕が想像するものと、荻村さんがやっていたことは、あまりにも異質であった、ということは間違いなさそうだ。

たぶん、今すぐ壁打ち練習をはじめても、荻村さん式のやり方では10回も続かないだろうと思う。それにトライする僕を卓球仲間が見れば、きっと笑うだろう(俺だって、見たら笑う)。

でもそのトライには、甲野先生が従来の手裏剣術から脱却して、この数十年、独自のやり方で取り組んでこられた構図と似たところがあるんじゃないか、と感じている。

「壁打ち」も「樽ころがし」も“状況設定”である。
その状況設定のなかで、自分に何を課すか。

稽古において、脳にできる「仕事」は、ほとんどそれにつきるのではないか、と最近思う。


mixi日記からの転載
※壁打ちを取り入れている練習場は、荻村さんの影響を強く受けた、日本全国の練習場には存在するはずだが、荻村さんほどのレベルで取り入れているところはおそらく皆無だと考えている。