ちまたでは、甲野善紀さんと田中聡さんの『身体から革命を起こす』が話題となっているが、私も武術的な身体運用と楽器演奏には通じるところがあると思っている。

身体から革命を起こす

 おそらく、一番大きなことは「時間」の捉え方である。武術的にいうなら「コヒーレンス合気道」(内田樹先生@3月8日日記)のことであり、音楽的に言うならタイム感、リズム感、グルーヴ感ということになるだろう。
 「リズム感」というのはしばしば誤解されるのだが、「せ〜の、どん!」という「合わせ」とはまったく関係ない。また、一定のテンポに「合わせる」ことも、まったく関係ないわけではないが、それは「リズム感」ではない。
 例えば、ドラムのリズムに引っ張られてしまうフロントの演奏は、「合わせる」という意味では問題ないのだが、「リズム感」という意味では大問題といえる。メトロノームに正確な演奏は、「リズム感がなくて」つまらなかったりもするのである。
 
 では、「リズム感」とは何なのか?

 私は、「一定のテンポからどれだけ逸脱しているかを感知できる能力」のことだと思っている。「走っている」「突っ込んだ」「遅れた」「乗った」・・・これらの音楽用語は、すべて基本となるテンポに対するバンドの演奏、あるいはバンドが作り出すリズムと自分の演奏といった、「位置情報」に関するものである。
 走ったり遅れたりすることは必ずしも悪いことではない。というより、よい演奏というのは、必ずある種の逸脱を来しており、そのことが人を引きつけるのである。セロニアスモンクしかり、ソニーロリンズしかり、だ。大切なことは、本人がそのことを感じているかどうかということだ、
 つまり、「リズム感がよい」ということは、演奏の中で「どれだけ自分の位置が感じられているのか」と言い換えてもよいような、ある種の感性、内的感覚のことではないかと思うのである。

 そして、この「内的感覚」というのは、決して空間的なものではありえない。当たり前だが、リズムを感じるということは、そのまま時間を感じるということだからだ。

 この内的感覚は、おそらくは武術でもまったく同じである。相手の動きはもちろんのこと、自分の動きのある種の逸脱を、世界の中、大きな時間の流れの中で捉えることなしには、おそらく技は決まらない。