ARPと古武術

新所沢のARP実習センターにて、山中教子先生から初めて直接指導を受けさせていただくことができた。


山中先生にお会いするのは三回目だが、卓球を指導していただくのは初めて。


非常に優しい方なので、言い方はSoftly as morning sunshineだったのだが、指導の中身は「鳥居さん、全然ダメ」あるいは「鳥居さんのやってるのは卓球じゃないのよ」というものだった。


そう、全否定といってもよい。でも、自分自身もどこかで漠然と「なんか違うかも」と思っていたことをずばっと言い切ってもらえたようにも思うので、全肯定、といってもよいかもしれない。


少し、山中先生の言葉を書き出しておく。先生の言葉はあまりにも抽象的なので、時間が経てばたつほど自分に都合よく改変しちゃいそうだ。

・ボールを打つことは卓球じゃない
・ボールを打った後、相手のボールが返ってくるまでの時間こそが卓球である。

ではその時間に何を行うか。

・自由なんだけど、ただだらっと待っていてはいけない。
・構えちゃいけないけど、ボーっとしちゃいけない。
・その時間に行うことこそ、「その人の卓球」であり、それを意識していない練習は「練習のための練習」である。

だいたい、このあたりのことをおっしゃっていたように思う。

これはわかる人にはわかるし、わからん人にはさっぱりピンとこない話だと思う。


例えばスマッシュを打つ。美しい軌跡(笑)を見て、自画自賛している自分がいる。私はよくこういう状態になるのだが、言うまでもなくこれは最悪。過去に囚われている状態。

物理的に考えても、ボールを捉えた瞬間以降、次に相手が打ったボールがこちらに返ってくるまで、ボールに対して干渉できることは何もない。


よって、大切なことは、「打球」(山中先生の言葉では「卓球」)のスタートは、ボールが飛んできた時ではなく、自分の手からボールが離れた瞬間から始まるのだ、ということであり、それを意識した練習じゃなきゃ試合にはつながらないということだ。




ちょっと蛇足だが帰り際に武術との関連についても触れられていたのでそれもメモ。

・身体と心を常に自由な状態に保つこと。つまりは構えない、待たないといった要素は武術も卓球も同じ。
・違うのは卓球にはルールがあり、目的があるということ。
・ルールと目的は、技術、ひいては身体の動きを規定する。
・それがスポーツと武術の大きな違いであり、それゆえ、卓球には卓球に適した動きというものが存在する。


といった話を身振り、手ぶり、擬音を交え(笑)、時に実演(感涙)を交えて解説していだいた。


なんて貴重な時間なのであろうか。不思議と、これまで行ってきた練習を否定されたことの無念さがないのは、山中先生の人間的大きさであろう。ついていきます、師匠。