リズムの共有の問題

リズムを深くしていくということは、卓球でも、音楽でも、対人関係でも、非常に重要なことで、一生かけて追いかけ続けるべき課題である。


問題は、共演者や対戦相手、会話の相手に、リズムを共有しようという意思が感じられない場合。これはほんとに困る。

卓球だとラリーにならないし、音楽だと合奏にならない。会話は成立しなくなる。

もちろん、リズムを共有できない理由はいろいろだし、共有できないといってもいろんなレベルがある。完全に共有するのは不可能だろうし、どんな人ともある程度は共有できる。

ただ、それでも相手に「共有しようという意思が見られない」と困ってしまうわけだ。

卓球なら「勝ちたい」「かっこよく打ちたい」という思いが、音楽なら「かっこいいフレーズを」「理論にあった音使いを」という考えが、自然なリズムの邪魔をする。

意味を求める心がリズムの共有を邪魔してしまう。しかしながら一方で、我々は意味を求めることをやめない。そのへんの矛盾には、とりあえず気付いておいたほうがいい。