第13回古武術卓球練習会(池袋卓球術研究会)

第13回の古武術卓球練習会(池袋卓球術研究会)を開催します。

3月23日(日)

時間:12:30−15:00

場所:文京区スポーツセンター

http://www.b-academy.jp/faculty/c02_01_j.html?area=localMenu

・最寄り駅は地下鉄丸の内線「茗荷谷」駅です。



古武術という枠組みには必ずしもこだわらず、卓球にかかわる動きの幅、考え方の幅を広げていく練習会にしたいと考えております。

☆参考資料

http://www.geocities.jp/naosuke_t/takkyu/070407memo.htm

http://d.hatena.ne.jp/naonao777/searchdiary?word=%2a%5b%c2%ee%b5%e5%5d

卓球動作の基本となるような二軸動作を練る動きなどを、参加者の皆さんと工夫しながら練習していきたいと思います。





●参加方法

主催者まで直接メールをください(台確保の問題がありますので、飛び入り参加はなるべくご遠慮ください)

toriidou@gmail.com

「難しい」と「易しい」


所沢ARPにて、Fさんからバックハンドのトップスピンサービスを教わる。

バックハンドのトップスピンサービスをビシッと決めるのはなかなか難しい。

クロスも難しいけれど、ストレートはさらに難しい。

で、Fさんにいろいろコツを教わる。「僕もストレートは難しい難しいって思っていたんですけど、あるとき、゛待てよ、ほんとは難しくなんかないんじゃないか゛って思ったんですよ」

そういって、Fさんはいろいろコツを教えてくれた。

もちろん、それを教えてもらったからすぐにできるようになる、というものじゃないんだけど、Fさんの話を聞いていて、なるほど、と思ったのは「難しい」というのは、頭の中にしかない、ということだ。

何かが「難しい」とすれば、その原因がある場所は「何か」ではなく、必ず100パーセント自分である。

情報が足りないか、思い込みが取れていないか、何かしらそれをうまくやるのに必要な条件が整っていないから、何かが「難しい」と感じるのだ。

そして重要なことは、何かを「難しい」と捉えている心こそが、しばしばその何かを致命的に難しいものにしている最大の要因となっている、ということだ。

何かを「難しい」と感じたまま取り組んでいると、泥沼にはまってしまうことがある。
なぜなら、「難しい」ということの実態は、そのほとんどが、単なる「認識不足」の産物だからだ。

もし、神の目をもって現実をそのまま、あますところなく認識することができれば、「難しい」は存在しない。せいぜい、可能か、不可能かだけだ。

逆に言えば、安易に「難しい」と口にするのは、いささか傲慢だということだろう。難しいか簡単かを真に正確に評価するには、神のごときあまねき認識力が必要なのだから。

サービスでも、フォアハンドでも、フットワークでも何でもよい。もしあなたが何かを「難しい」と感じたなら、「難しい」「易しい」という評価が頭に浮かばなくなるまで、徹底的に観察されることをお勧めしたい。

自分や、他人のプレーを、とにかく観察し、認識する。あなたの持つ「画素数」を10000倍アップさせることができれば、もはや「難しい」とは感じないだろうし、そうなればその「何か」は、遠からずあなたのものになるはずだ。

3月のライブ予定

よろしく〜!

●2008年3/20(木・祝)2nd(未定)
市橋由季トリオ@荻窪「アルカフェ」
http://alcafe.incoming.jp/
東京都杉並区荻窪5-21-10
03-3391-2046
時間:20:30-(未定)
チャージ:500円
市橋由季(vo)、三堂寛史(g)、鳥居直介(g)

ボサノヴァボーカリスト、市橋由季さんのトリオです。



●2008年3/30日(日)
Chang-ja@大塚「エスペートブラジル」
時間:19:00〜(開始時間未定)
チャージ:1000円
場所:大塚「エスペートブラジル」
http://espetobrasil.hp.infoseek.co.jp/
豊島区南大塚3-29-5光生ビルB1
(山手線大塚駅南口より徒歩3分)
TEL & FAX 03-5979-4433
出演:市橋由季(vo)、鳥居直介(g)、三堂寛史(g)、長谷川明弘(b) +スペシャルゲスト!

※いつもの@エスペートとは違ったメンツでお届けします。スペシャルゲストにもご期待ください

情報と情報化の違い

http://blog.tatsuru.com/2008/02/05_1118.php

内田樹先生の今日の日記がおもしろかった。

情報と、情報化の違いについての、養老先生のお話からの展開である。

情報と情報化の違いは、内田先生のブログの冒頭の説明が簡潔でわかりやすいので引用する。

情報化というのは「なまもの」をパッケージして、それを情報にする作業のことである。

例えば、獣を殺して、皮を剥いで、肉をスライスするまでの作業が「情報化」だとすると、トレーに載せられて値札を貼られて陳列されたものが「情報」である。

身体技法を学ぶときも、ここを勘違いしてしまうと地獄(魔境)なのだと思う。

甲野先生も、岡田さんも、山中先生も、自分の身体が可能にした「なまもの」としての技術を、かなりアクロバティックなプロセスを経て、「情報化」されている。

添え立ちにしても、波の下にしても、急ブレーキの原理にしても、ARP理論にしても、それがわれわれのもとに届くときにはすでにして「情報」として届いている、ということを忘れてはならないのだと思う。

こうした「パッケージングされた情報を学ぶこと=学びである」、という思考は、世間はもちろん、スポーツ界や、あるいは武術を学ぶ人たちにすら、蔓延しているように思う。

「何かができる、できない」「上手い、下手」といった言い方の背景には、非常に多くの場合、誰かがパッケージングした「情報」の後ろ盾がある。それを基準にするから、できた、できない、うまい、へた、という言い方ができるわけだ。

しかし本来、学びのプロセスの大部分は、実は「情報化」にある。「なまもの」を情報化していくこと、これがあらゆる動物の中でも、人間に特徴的な学びのプロセスだ。

たとえば、動物には、情報はあっても「情報化」はない。だから、馬は走ることはできても卓球はできない。猿の身体能力がいかに高くても、剣は振れない(もちろん、猿廻なんか無理である)。

偉大な先人たちが残してくれた「情報」あるいは、リアルタイムで見せてくれる「情報化」のプロセスは、私たちに大きなヒントを与えてくれる。しかし、もし私たちが自らの身体をとおしてなんらかの「情報化」作業を行なわず、その情報を情報としてストックしておくだけならば、そんなものはゴミと同じことだと思う。

拙くてもいいから、どんな人も自らの持ち場で、自らの手による「情報化」にいそしむべきだ。

楽家であれば作曲でもいいし、奏法の工夫でもよい。そうやって情報化したものが仮にオリジナリティの高いものであれば高い評価を受けるだろうけれど、別にそんなことに期待する必要はない。情報化のプロセスそのものが、その人の学びのプロセスであるのだから、その時点でその行為は100%「報われている」のだ。

周囲からの賞賛や対価なんていうのは、人生において「おまけ」「飾り」である。やること(情報化していくこと)そのものの熱が、人生の醍醐味・・・!!(@赤木しげる

卓球であれば、フォアハンドも、バックハンドも、ドライブも、あるいはYGサービスであれチキータであれ、それがそのように呼ばれた時点で「情報」である。

それを学ぶな、とは言わない。先にも述べたように、先人の足趾をたどることは、このうえないヒントになるはずだからだ。一人っきりで努力して10年かかることが、先人に学ぶことによって1年で学べる可能性はある。けれど、その学びが、その人の手による「情報化」のプロセスを経ないのであれば、寸詰まりの、つまらない試みにしかならないだろう。

学びとは「創造する」ということであり、情報化というのはそのために欠かせない、もっとも大切なプロセス、あるいは「創造」そのものなのかもしれない。

第12回の古武術卓球練習会開催します


第12回の古武術卓球練習会(池袋卓球術研究会)を開催します。

2月3日(日)
時間:12:30−15:00
場所:文京区スポーツセンター
http://www.b-academy.jp/faculty/c02_01_j.html?area=localMenu
・最寄り駅は地下鉄丸の内線「茗荷谷」駅です。


古武術という枠組みには必ずしもこだわらず、卓球にかかわる動きの幅、考え方の幅を広げていく練習会にしたいと考えております。

☆参考資料
http://www.geocities.jp/naosuke_t/takkyu/070407memo.htm
http://d.hatena.ne.jp/naonao777/searchdiary?word=%2a%5b%c2%ee%b5%e5%5d

卓球動作の基本となるような二軸動作を練る動きなどを、参加者の皆さんと工夫しながら練習していきたいと思います。




●参加方法
主催者まで直接メールをください(台確保の問題がありますので、飛び入り参加はなるべくご遠慮ください)
toriidou@gmail.com

荻村伊智朗と中井亀次郎

旧題:「壁打ち」と「樽ころがし」の効用について


さて、3日まえ、hossyくんやモツくんと池袋で飲んだときに気付いたネタです。

日本卓球の黄金時代を支えた一人、故・荻村伊智朗氏には、有名な伝説がいくつもある。選手として世界を制し、引退後は現行卓球ルールの基礎を築き上げ、国際卓球連盟の会長も勤めた荻村氏。

しかし、彼の伝説の中でもっとも有名であろう、ある練習法にまつわるエピソードについては僕は今日まであまり信用してこなかった。

それは「壁打ち」である。

文字通り、壁に向かってボールを打ち、跳ね返って来たものをまた打ち返す。それだけの練習。

僕自身も、周囲の卓球人も、一度はトライしたことがある練習法だ。まったく無意味ではないが、結局は台打ちとは距離感も球質も違うのだから、せいぜいウォーミングアップ程度にしか使えない練習。僕は長年そう考えて来たし、周囲の卓球人にも、壁打ちを積極的に取り入れている人は見当たらない。


しかし、ほかならぬ荻村氏は、自身の半生を振り返る中で、ことあるごとに壁打ちの重要性を語っているのだ。

僕が目にしたなかでいちばん信じがたかったのは、一人での壁打ちと体力トレーニングだけで上達し、その後、多少練習環境は整ったにせよ、21歳で全日本を取ったのちも、壁打ちを中心とした練習を行ない続けていた、というエピソードである。

これがもし事実であれば、看過すべきことではない、と思う。

現在、卓球界の一流選手で壁打ちを本格的にトレーニングに取り入れている人は皆無(たぶん)だろうし、一般レベルでもほとんどまともに取り入れられていないわけだけれど、ほかならぬ荻村伊智朗が、中心にすえていたトレーニングを無視するだけの確たる根拠を持っている人はいるのだろうか?

僕の中での解決は、先にも述べたように、このエピソードはウソ、ないし誇張であろう、というものだった。(もちろん、この解釈にも何の根拠もなかったわけだ)

ところが先日、hossyさんらと話していて、ふっとある着想がわいてきた。「これは、<あれ>と同じ話ではないか」と。

<あれ>とは、甲野先生の中で昨年ブームであった、中井亀次郎の逸話である。

甲野 〜最近、私が関心を持っている人物に、中井亀次郎という剣客がいます。明治の最初ごろに活躍した人なんですが、この人の剣術の収斂方法がすさまじいのです。空の醤油樽を背負って、山を登り、土砂崩れの後のような斜面にそれを転げ落とすやいなや、その醤油樽を追って、それを棒で叩きながら下まで駆け下りたというのですから。なぜそんな荒稽古ができたかというと、亀次郎は10歳くらいから兄と2人で猿の群れを追って、逃げ遅れた猿を生け捕りにしていたというんですね。
看護学雑誌、2008年2月号、甲野善紀、島崎徹、内田樹鼎談「身体性の教育」より)

「空の醤油樽を叩いて崖を駆け下りる」という行為そのものは、剣術そのものとは何の関係もない。しかし、そこで求められる、きわきわのところでの身体運用は、並の稽古では身に着けることのできない質のものである。

hossyさんによると、荻村さんの「壁打ち」は、普通の人間が想像するものとはだいぶ質が違ったようだ。

普通、卓球経験者がやったことのある壁打ちは大きく分けて二種類である。1つは、壁に打ったボールをノーバウンドで返し続けるもので、強く打つとコントロールができなくなるので、たいていはラケットをやや上に向けて、いわゆる「温泉ピンポン」よくても、フィッシュ打法程度の打ち方でないと続けられない。

もう1つは、ワンバウンドで壁に打ち付けるもので、これは上手になるとハイペースで続けることも不可能ではない。


しかし、荻村さんのは、このいずれとも、ちょっと異質のものであったようだ。壁から2メートルほど離れ、ほとんど全力といってもいいぐらいの強さで打つ。当然すごいスピードで返ってくるのだが、それをまたフルスイングで打つ。しかもノーバウンドで、だ。

ちょっとでもコントロールが狂えば玉はとんでもないところに飛んでいく。しかし、荻村さんはほとんどノーミスで、何百回と続けることができたらしい。そのペースは、1分間に120回に達することもあったという(2人でやる普通のラリーは、どんなにがんばっても1分間80〜90回程度)。

「壁に打ち付けたボールを、ノーバウンドで打ち返し続ける練習:壁打ち」

言葉にすると、たったこれだけになってしまう練習方法だが、それを聞いた僕が想像するものと、荻村さんがやっていたことは、あまりにも異質であった、ということは間違いなさそうだ。

たぶん、今すぐ壁打ち練習をはじめても、荻村さん式のやり方では10回も続かないだろうと思う。それにトライする僕を卓球仲間が見れば、きっと笑うだろう(俺だって、見たら笑う)。

でもそのトライには、甲野先生が従来の手裏剣術から脱却して、この数十年、独自のやり方で取り組んでこられた構図と似たところがあるんじゃないか、と感じている。

「壁打ち」も「樽ころがし」も“状況設定”である。
その状況設定のなかで、自分に何を課すか。

稽古において、脳にできる「仕事」は、ほとんどそれにつきるのではないか、と最近思う。


mixi日記からの転載
※壁打ちを取り入れている練習場は、荻村さんの影響を強く受けた、日本全国の練習場には存在するはずだが、荻村さんほどのレベルで取り入れているところはおそらく皆無だと考えている。

2008年全日本選手権雑感

いろいろと書きたいことがたまっているのだけど、まずは全日本選手権。練習会があったのでビデオ観戦だったのだけれど、なかなかおもしろかった。

まずは女子、平野早矢香 対 樋浦令子の同門対決。

福原が上がってこない、というのは、メディアはともかく、卓球に接している人間にとってはだいたい予想通り。愛ちゃんが全日本を取るには、よほどの馬鹿あたりがなければダメだろう。

で、決勝の内容だけれど、あまりよくなかったと思う。
もちろん、平野さんの精神的な強さとか、技術面での進歩は見られたんだけど、とにかく樋浦がダメだった。

今年は会場で見てなかったからなんともいえないんだけど、ちょっと残念な決勝だった、と僕は思う。もう少し、お互いの技量の限界まで引き出されるような戦いを見たかった。昨日のあれでは、樋浦は崩れたけど、平野は崩れなかった、以上。みたいな。


一方、男子。こちらは見るべきポイントの多い試合だった。幸い録画したので何度も見れるわけだし、金余りのNHKがスーパースローで流してくれたので、ぜんぜんわからなかった水谷のサービスの一部始終もよく見える(笑)

去年と同じ対戦である、高校生、水谷隼と吉田海威(だっけ、字あってるかな?)の対戦。結果的には4−3で水谷だったのだが、技術的には大きな開きを感じさせる対戦だった。スコアを詰めたのは、吉田の「勝ちたい」という思いであったと思う。その思いが、最後の最後で技術によって完封されてしまうという絵は、どS好みであったと思う。

水谷、吉田ともに、ドライブを打つときに身体を沈みこませている。吉田のドライブフォームは、世界チャンプ、王励勤と酷似しているが、体幹の沈み込みと連動してラケットを振り出すのは今のトレンドなのだろうか?

身体操作的に見ると、たしかに位置エネルギーを有効に使える方法ではあると思うんだけど、振ったあと、沈み込んだ身体を戻すのに若干時間がかかっているように見える。まあ、戻らなくてもやれる技術がある水谷はいいとして、吉田はずいぶん苦しそうだった。